〜ワームホールは本当に宇宙の「近道」になるのか?〜
―『ネットワーク・エフェクト』から考える時空と量子の不思議―
こんばんは。ブロガーNです。
もし、何十光年も離れた星へ、一瞬で移動できる「宇宙の近道」があったらどうでしょうか?
光でさえ何十年もかかる距離を、トンネルを抜けるように移動する。
SFではおなじみの「ワームホール」です。
今回は、マーサ・ウェルズのSF小説『ネットワーク・エフェクト』にも登場する、この不思議なワームホールについて考えてみます。

宇宙船がワームホールを抜けた直後、戦闘が始まる
『ネットワーク・エフェクト』では、警備ユニット「弊機」が乗った宇宙船がワームホールを通り、雇い主たちの星系へ戻った直後、敵船の攻撃を受けます。
敵は母船につながった研究施設を引き離し、ワームホールへ持ち去ろうとします。
弊機は人間たちの安全を確保しながら、侵入してきた敵に立ち向かいます。
この物語の世界では、ワームホールを使って遠く離れた星域を行き来することが、宇宙旅行の重要な手段になっています。
では、そもそもワームホールとは、完全なSFのアイデアなのでしょうか?
実はそうではありません。
その原点は、アインシュタインの一般相対性理論にあります。
ワームホールとは「時空の近道」
1935年、アルベルト・アインシュタインと物理学者ネイサン・ローゼンは、一般相対性理論の方程式を研究する中で、二つの領域を「橋」のようにつなぐ構造を考えました。
後に「アインシュタイン・ローゼン橋(ER Bridge)」と呼ばれるものです。
イメージとしては、紙の上に離れたA地点とB地点があると考えてみてください。
紙の表面を移動するには、AからBまで長い距離を進まなければなりません。
ところが、紙を折り曲げてAとBを重ね、その間に穴を開けたらどうでしょう。
穴を通れば、AからBへ非常に短い距離で移動できます。
ワームホールとは、これを宇宙の「時空」で行うようなイメージです。
つまり宇宙空間を猛スピードで横切るのではなく、時空そのものの構造を利用して近道するわけです。
ところが、このトンネルは通れない
ここまで聞くと、
「それなら宇宙船でワームホールに入ればいい」
と思うかもしれません。
しかし、話はそれほど簡単ではありません。
アインシュタインとローゼンが考えたER橋は、SF映画に登場するような安定した宇宙トンネルではありません。
そもそも彼らの1935年の研究目的は宇宙旅行ではなく、粒子を時空の幾何学的な構造として説明できないかというものでした。(電子などの荷電粒子を、非常にミクロな「2つの空間を繋ぐトンネル(ワームホール)」の入り口と出口だと見なす考え方)
そして通常のER橋は、人や宇宙船が入口から入り、反対側へ抜けられるような「通過可能なワームホール」ではありません。そこで物理学者たちは考えました。
「量子力学を利用すれば、ワームホールを通れるようにできないだろうか?」
ここから話はさらに不思議になります。
ワームホールと「量子もつれ」は同じもの?
2013年、物理学者フアン・マルダセナとレオナルド・サスキンドは、非常に大胆なアイデアを提案しました。
それが、「ER = EPR」という仮説です。
ERは「アインシュタイン・ローゼン橋」
EPRは、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの名前から取られたもので、「量子もつれ」と深く関係しています。
量子もつれとは、二つの量子が強い相関を持ち、遠く離れていても一つの量子的な状態として記述される現象です。ER=EPRは、大まかに言えば、
「量子もつれとワームホールは、実は同じ物理現象を別の角度から見ているのではないか?」
という考えです。
ただし、これは現在も研究されている理論的な仮説です。
「すべての量子もつれの間に、宇宙船が通れる小さな穴が本当に開いている」
という意味ではありません。
それでも、量子力学と重力という、これまで別々に扱われてきた二つの世界が、実は深いところでつながっているかもしれないという驚くべきアイデアなのです。

「通れるワームホール」の理論が登場
さらに2016年、物理学者のピン・ガオ、ダニエル・ジャファリス、アロン・ウォールは、特殊な条件のもとで通過可能なワームホールを理論的に作れることを示しました。
ポイントになるのが、量子効果によって生じる特殊な「負のエネルギー」です。
通常のワームホールは閉じてしまうため、反対側へ抜けられません。
しかし特殊な量子効果を利用すると、ワームホールを一時的に通過可能な状態にできる場合があることが、数学的なモデルで示されたのです。
これは、量子力学の世界では、特殊な条件のもとで、ある場所のエネルギーが通常の真空より低くなる『負のエネルギー』と呼ばれる状態が現れることがあります。
この量子的な効果を利用すると、理論上はワームホールの時空の形を変え、一時的に通過可能にできる場合があることが数学的に示されています。
しかも、この仕組みは量子テレポーテーションと深く関係しています。
一方では「量子情報の転送」として説明できる現象が、別の見方をすると「ワームホールを通って情報が移動した」と表現できる可能性があるのです。
量子の世界と時空の世界が、ここでつながってきます。
では、人間もワームホールを通れる?
残念ながら、ここにはSFと現実の非常に大きなギャップがあります。
現在研究されている通過可能ワームホールは、宇宙船や人間を別の銀河へ送り込む装置の設計図ではありません。特定の理論モデルの中で、量子情報と時空の関係を研究するためのものです。
つまり、「東京でワームホールに飛び込んだ瞬間、100光年先の惑星に出る」
というSFのような方法が実現したわけではありません。
それでも、ワームホール研究は面白い
では、宇宙旅行に使えないなら、なぜ物理学者はワームホールを研究するのでしょうか?
その理由の一つは、宇宙の仕組みそのものを理解する手がかりになる可能性があるからです。
巨大な星やブラックホールを説明する「一般相対性理論」
原子や素粒子の世界を説明する「量子力学」
この二つはどちらも非常に成功した理論ですが、まだ完全には一つになっていません。
物理学者が目指しているのは、この二つを統一する「量子重力理論」です。
そしてER=EPRの研究は、
「時空そのものが、量子もつれから生まれているのではないか?」
という、さらに大胆な可能性につながっています。
もしそうなら、私たちが当たり前だと思っている「空間」さえ、宇宙のもっと深いレベルに存在する量子情報から作られているのかもしれません。

SFが描いた「宇宙のトンネル」の先へ
『ネットワーク・エフェクト』では、ワームホールは星系と星系を結ぶ宇宙の交通網として登場します。
現実の物理学は、まだそこにはまったく到達していません。
しかし面白いことに、ワームホールは単なる空想でもありません。
アインシュタインが約90年前に研究した「時空の橋」が、現代では量子もつれや量子テレポーテーション、そして量子重力という最先端の研究につながっています。
SFでは、ワームホールは「遠い宇宙への近道」です。
しかし、現実の物理学でワームホールの研究が開こうとしているのは、
「そもそも空間とは何なのか?」という、宇宙の根本を理解するための扉なのです。
参考リンク
量子テレポーテーション
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